彩雲









蕭やかに開けられる扉と言えども、軍人稼業である限りは耳が向くもので、それ以前に細心の注意を払うその細心が、甚だ雑である事から毎朝、ベッドを抜け出す気配すらも感じていた。寂然の鎧は、がちゃり、がちゃりと無言の音を残し遠ざかってゆく。何時の間にやら失せた長太刀と、汚れの増す柄に、よもや気付かれまいとしている風では無かったが、幾らかは気に掛けているようで、刀をことり書棚の脇へ置くと直ぐにシャワールームへ向かい、小さく捻り出した冷水で埃を流す。その後にベッドへ忍び込んで来る冷たさは、思わず竦めたがる首を漸く押し止めなければならない程で、当人がそうと感じて居るのか居ないのかも不明なまま、吐き出したくなる嘆息に代え、寝息をぴたりと止めて濡れた天蓬の髪を眺め遣る。
「…天蓬」
返答は無い。この間隙に寝入ってしまった場合もあれば、敢えて言葉を発しない日もある。果たして今日は何れかと、その冷えた身体を引き寄せる。
「…捲簾。僕は軍人で在りながら、討つ覚悟が無かった」
ぽつり洩らした言葉からその意味を普く掴み取る。ほんの弾みで敖潤と、過去に良く似た刹那を交わしたのだろうとも察し、長い溜息をひとつ吐き出した。
「俺の銃をやる。お前に刀は似合わねぇ」
「僕は銃は嫌いです。実感が無いじゃありませんか」
「何の実感だ」
「犯してしまった、という実感が」
「実感を得てどうする。夜毎に苛まれ魘されてぇのか」
「ええ。出来れば眠らずにそうしたい。夢では所詮、夢ですから」
例刻、部屋の掃除へやって来た捲簾に、惰眠とも転寝ともつかぬ夜聡いから、天蓬が告げた。
「最終試験です。今日。貴方の」
唇と肺臓を動かした弾みで胸の上へうつ伏せにされていた分厚い古書がばさりと床に転げ落ちる。
「俺に試験だと?何の試験だろうなあ」
「お気づきの癖に」
飄々と惚ける黒髪の後姿へ、実に楽しそうに忍び笑いながら天蓬が起き上がる。そして足音も立てず絨毯を滑り、たった今埃を拭われたばかりの陳列棚から、二本の刀を無作為に選び取ると、両手へ翳して見せ付ける。
「お好きな方をどうぞ」
「生憎と俺はどちらの流派でも無くてな」
「ええ。存じて居ます。僕も我流ですし」
生体へ刃を向けるのは初めてです、とも愉快に微笑んだ。
天蓬が直属の配下へ置いたものは皆、半年と持たずに暇を告げる。但しそれは、明確な書面による通達でも、天蓬自身から語られるものでもなく、真逆に、全く語られなくなってしまうので性質が悪い。大将という肩書きを持たされ、然しじっと口を閉ざしたままの元帥を背に置き、その重みに耐え切れる者など常人で在るはずが無い。大概は敖潤を前に深く項垂れ、隊から離脱する。そうした内情を知るのは無論当人である天蓬、敖潤までに留まり、軍人が私情で戦線離脱するなど持っての外と、語らぬ長きに亘る悪風。するとその度に敖潤は、転属の理由をいちいち捏造する事に頭を痛めた。
「僕が嫌ったから、とでも言って置かれると宜しいのでは?」
まるで他人事のようにいつも通りからからと笑う天蓬に小さな咆哮を向けるのが精一杯となってしまった。
そんな所以により捲簾が赴任の挨拶へ詣でた折の帰り掛け、飄々と立ち上がった背に敖潤が語る。
「命が惜しければ、引き際を見極める事だ」
その時に振り返った捲簾の顔は、まさしく今、天蓬へ向ける気色と同様に、甚だ子供染みたものだった。
「こいつ等は皆、歴代の大将を喰ったのか?」
鞘から太刀を引き抜き、刀身を裏へ表へ返し眺めながら問う声に、これもまた嬉々たる音色を立て揚言する。
「いいえ。是までは食指がそそられなかった様で」
「最終試験まで辿り着けない情けねぇ奴らばかりで、さぞや元帥殿も退屈為されただろう?」
「それはそれは退屈で。退屈は僕に歯向かう唯一の魔物かと思いました」
「だったら早速始めても良いぞ?」
「いいえ。遺恨を残したく在りませんから。僕が目覚めてからにして下さい」
そう云うと天蓬はゆるり立ち上がり、その場へ一枚、また一枚と衣類を脱ぎ捨てながら浴室へと向かって行った。白い背中を金色の陽射しが艶々と照らし出して居た。





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2015.5.15 wrote

物凄く久し振りにメモ帳に向かった…。 今までどうやって書いてたんだろう…(´Д`) とにかく一行でも毎日書いてリハビリ、というか、学び直す…寧ろ学び始めるところからやっていく所存でござるよ!!!

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