evergreen


再会と呼ぶべきか、出逢った、と呼ぶべきか。きっと正しい言葉は未だ創られていない、八戒とのそんな遭遇を果たして翌朝。ベッドの右半分に体躯を丸め、眠っている事を確認してから、そっと家を出て慶雲院へ向かった。 遠くなく雨を誘う紫色の雲で覆われた、厭世の朝に急き立てられ、水溜りを越える足も自然、小走りとなってしまう。
門前で掃き掃除をしていた小姓に三蔵への謁見を願うと、半ば恫喝した所為もあって、一先ずは知らせに向かってくれ、そして僅かの後に、今度は恭しく誘われる背に付いて、執務室の扉を叩いた。三蔵は黙って招き入れ、扉が閉まり切るのも待てず、八戒を引き取ると申し出た俺へ、銜え煙草の揺らぎに顔を攣らせ、それでも視線は真直ぐに合わせ淡々と言う。
「雨の日は漏電する。触れるとお前も感電するぞ」
「誰だったら、感電しねぇんだよ」
「少なくとも、俺はしねえ」
眠っていないのだろう。落ち窪んだ目蓋を瞬かせる。家へ連れ帰って直ぐ、悟浄の家に泊まります、と架けさせた電話をどんな気持ちで聞いたのだろうか。燃え尽きた払暁を弔ったあの日から、三蔵の眼が八戒へ向いている事は想像が付いていた。だからと言ってくれてやる訳にもいかない。何しろ俺は、虫の知らせを唯ひとり、聞いた。
「でも、直せねぇだろ?」
「貴様が直せるとでも言うのか」
「俺ん家さ。初めは電気通って無かったんだよ」
三蔵は何も言わない。紫雲も吐き出さない。ただ只管に真偽を問い、応酬に備える。俺の気持ちがもう少しでも緩ければきっと、打ち負けてしまう強い瞳で仁王立ち、見上げている。
「近くの電線から引っ張ってきて、てめぇでつけたんだよ。スイッチ入れて点いた時は、スゲェ感動したな」
そして追撃に紫色の瞳を見下ろし、言った。
「夕べの雨はアイツ、気にならなかったみてぇよ?」
シャツの胸元が掻き合わされ、急激に掴まれた。慮外の力強さに驚きながらにっ、と頬を緩めてみると、忌々しげな舌打ちを寄越しながら一層引き寄せ、まるでこれから口付けを交わす恋人同士ほどの距離で、口遊む。
「気を付けろ。右側から抱くと、怯えるぞ」
全身から一度に、蒸気が噴いたようだった。
どうして家まで辿り着いたものか、憶えていない。ただ途中で小雨がぱらつき、急いで戻らなければと思う足と間逆の方向を、顔が目指していた。 馴染みの酒場でも、馴染みの無い強い酒を飲んで暴れ、マスターに手渡された傘を開く事も忘れ、握り締めたままで夜更けの道を歩いていた。雨は霙になって手を悴ませる。夕べ抱いた八戒の感触を残す手の平が、次第に感覚を失くしていく。このまま千切れ朽ちてしまえば晴れるだろうか。背後に群れる黒い影を踏み潰してしまえば、安寧を信じられるのだろうか。半ば願うように思っても、それでも影は音もなくひたひたと俺を追い詰めて、霙も雪へと近付いていった。
「悟浄!?」
濡れるという形容では全く済まない、浴びる程の雨垂れを零して寝室へ向かう俺に、八戒はただ驚きの招聘をして立ち尽くす。追い縋る、緑色の影。
「いい。黙ってりゃ乾くから」
「でも…」
寝転がったシーツは途端に水浸し。天球の中心までひとつの長い鏃が通り、打ち付けられた様に重苦しい躯。水の勢いは石を切り、石を叩く。嫋娜な俺が貫かれるのも当然だ。
今、目の前で懸命にバスタオルを動かし拭う愛しい者を、憎悪しなければならない懐中、数珠繋ぎに全てを呪う了見の狭さにほとほと呆れながら、夕べ俺の背へしがみ付き、爪を立てた指先の流れを空洞の瞳で眺めた。
「…僕、三蔵の所へ帰りますね」
鏃に火が放たれた。体の中心から燃え上がり、じりじりと焦がし始める。つん、とする不快な匂いが幻に鼻腔を刺し咽喉を焼く。飲み込んだ息はそこで立ち往生して、灰になる。俺はたった今、死んだ。
「行くな。何処へも行くな」
「悟浄?」
「雨の日は、家から一歩も出るな」
「何を…」
「ずっと俺だけに抱かれてて」
「はい」
にっこりと微笑んで、澱み無くそう言った。死して尚、求める俺の愚願は横紙でも横車でもなく、極めて正当だったと言わんばかりの朗らかさで、嬉しそうに。
「あー。でも雪の日は出掛けても良いぞ…」
「何ですか、それ。出掛ける時は一緒でしょう?きちんと僕を連れて行って下さいね」
そして眼を閉じ、両腕を伸ばして求める様は、まるで盲目の幼子。



「悟浄がスイッチ入れて下さいね」
「え、何で俺?」
「だって家主ですから」
「その家主の断り無く、勝手に木植えてイルミネーション付けたの誰よ?」
「綺麗だから良いでしょう?」
悪戯に膨らませた頬で電源コードをぐいと押し付ける。俺が受け取るまで一度も、瞬きをしなかった。そして渋面を崩した途端に嬉々とする。
何時から流行り出したものか、この小さな町もクリスマスを楽しむ習わしが出来た。知らずにいただけで本当は随分と昔から、そうだったのかもしれない。夏の終わりに植えた小さな樅の木へ色とりどりの電飾を付け、窓にはスノースプレーでひとつの落書き。
「お前、絵下手な」
「そんな事言うなら悟浄が描いて下さいよ!」
「良いよ。俺の上手さに驚くぞ?」
無造作にスプレー缶を動かし、消しては描き、描いては消すを繰り返した八戒の、十分の一で仕上げてしまった。共に暮らし始めて以来、満遍なく空が望める綺麗な窓ガラスに並ぶ、不器用に丸くない雪だるまと、それらしく丸いスノーマン。
「…本当ですね。悟浄、絵がお上手だったんですね」
「絵も上手くてセックスも上手い彼氏って最高だろ?」
抱き寄せた手はぴしゃりと叩かれ、身を躱す。そして不本意に空いてしまった腕の中が、プラスチックのサンタとトナカイに代わる。
「最高ついでに、玄関の横に飾って来て下さいね」
「寒いからヤダ」
「良い子にしていないと、サンタさんが来てくれませんよ?」
「美人のサンタが来る、ってんなら行く」
「美人で優しい、僕みたいなサンタです」
「じゃあ仕方ねぇ。行って来るか」
そうして大騒ぎしながら飾り付けたクリスマスの始まりを、全て俺に託した。一縷の不安を抱えながら、祈るような気持ちでコンセントを繋ぐ。
「悟浄…」
「あー。やっぱ電流足りなかったか。明日の昼間中に…いや、今晩中に俺が何とかすっから」
「大丈夫ですよ。こっちの電気を消せば」
「そしたら寒いし真っ暗じゃん」
「…ずっとくっ付いていたら暖かいじゃないですか」
その小さな囁きを、どんな表情で告げたのか。出来るだけ足音を立てて近付き、然し告げた本人も途端に気恥ずかしくなったと見えて、間近へ歩み進んだ頃に翻した為、丁度真横から抱き締める具合になってしまった。
「…悪い」
「…何がです?」
「お前。右から抱かれるの、嫌いなんだろ?」
「そんな事、ありませんけど?そもそも、貴方以外に僕を抱く人も居ませんし」
「…あのクソ坊主。俺を試しやがった」
「え?三蔵ですか?三蔵が何か?」
「いや。何でもねぇ。取り合えず部屋のコンセント全部抜いて、イルミネーション点けるか?」
「はい」
その声が分かった。世にも美しく楽しげに、愛しい唇から発せられる音色。暗闇でもその顔を知り、求める手の平を掴めるのは、永遠、俺だけであるように。



fin.



クリスマスの没バージョンのリサイクルです、済みません!
浄八←三が相変わらず好きなので捨て切れず、こちらへこっそり(笑)

拍手の応援、本当に有難う御座居ます!!

2008.1.5


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