偏 光 線




「天蓬。珍しい格好だな」
「ええ。今日は、一年に一度の日ですから」
黒い3ツ釦のスーツと、ドゥエボットーニのホワイト・ストライプのシャツ。
進んで入浴を終えた艶やかな柔肌が、その衿元から微かに覗いて居た。
毎年この日に限って天蓬は、敖潤と食事に出向く。それは捲簾が西方軍へ赴くずっと以前から続く慣例で、天蓬曰く。


『僕の唯一の休日』。


その逸話を聞かされた捲簾は、随分と古くから、敖潤は秘めていたのだと駭然する。
この日を祝宴に選んだのは、敖潤が託した精一杯。
数ある繰り返しの月日の中、その日だけ、元帥という肩書きを除いた天蓬を、従えて歩く夜桜の道。無口で堅物な敖潤が懸命に心からの賛辞と、恋情を与える日。そしてそれと気付かぬ天蓬が、上官として慕う敖潤から与えられる賛辞を欲し、珍しく洒落た装いで楽しみに出掛けて行く日。
「何か着けたらどうだ?」
「…何がです?」
「折角のドゥエボットーニだ。首許は開けて、アクセサリーを着けた方が良い」
「アクセサリーなど持って居ません」
「そうだな。お前が持ってるとは、俺も思ってない」
「捲簾!?」
咽せる程、生々しいシャンプーの香りを強く漂わせる天蓬の髪を分け、その白い首筋へ吸い付く。和毛を揺らす襟足を、閉じた捲簾の睫毛がふわりと擦れた。
「…捲簾」
「お前の生身の肌ほど、綺麗な物はねぇだろ?」
唇を離すとそこは、桃色には遠く隔たり、明瞭な深紅で染まっていた。捲簾は後退し距離を取って、黒のスーツ、白のシャツ、紅の痕跡全体を臨んだ。
「ああ。良い、コントラストだ」
「馬鹿につける薬があれば」
嘆息しながら天蓬は、痣が残って居るで在ろう部分を指先でなぞる。そして結ぶ途中だったネクタイを衿から抜き取って、行って参ります、と背を向け告げた。



「捲簾。只今帰りました」
「良い酒だったか?」
「ええ。とても」
数時間後、全く健全な時間帯に戻って来た天蓬は、少し上気した顔で扉を潜った。
そして普段には決して見せない、満面の笑みをも浮かべて見せた。
捲簾はソファから身を起こし、覚束ない指先で外す釦を煩瑣に嫌い、半分だけで終えてしまおうとするのを諌め、ひとつずつ外してやる。甘い酒の匂いばかりが、鼻を突いた。
「敖潤は?」
「僕を送って下さって、もう、お帰りになりました」
脱がせた全身は朱色に染まり、先刻の痣もだいぶ目立たない。アルコールで乾いた喉が、こくりと揺れるたび、肌に飲み込まれ、消えて行きそうだった。
「お前、酔ってるのか?」
「…ええ。少し」
間を空けて反応する声は偽物で、即座に強張った頬が真相を告げた。
捲簾は俯いた天蓬に気付かれぬ様、小さく嘆息した。
敖潤はほんの弾みで、首許の紅色に気が付き、押し留める事が出来なくなった想いを、包み隠さず真っ直ぐに、語ってしまったのだろう。微かに覚らせる手立てを知らない本属長と、仄かに察し躱す技術を持たない走狗が巻き込まれた事故は、余程の惨劇。
「悪かった。お前の休日を台無しにした」
「いいえ。貴方の所為では」
抱き寄せた胸の中で語尾が掠れ、儚く終息した。
噛み締めた唇が震え出すと、押し黙らせるように、目の前の胸へ荒々しい程の口付けを残す。冷たい唇が触れた場所からひとつずつ、言い換えられ無かった科白への絶望と、書き換えられないシナリオへの葛藤が、滲み込んで来た。
「馬鹿だな、お前は。大事なものには嘘を吐け」
「そうですね」
天蓬が一息ついたのを見計らい、滑稽な調子でそう云うと、胸の中で小さな笑い声を洩らした。それから白く細い両腕を伸ばして爪先立ち、捲簾の黒髪を撫でる。
「…シャワー、お入りになったんですか?」
「髪、未だ濡れてるか?」
「ええ。冷たくなって、胸まで雫が」
「そう云えば、少し躰が冷えてきた」
「暖めて、差し上げましょうか?」
そうしてにっこりと微笑み、桜色の瞼を静かに閉じた。





fin.



※18歳以上の方にはちょこっと続き。大人優遇サイトでゴメンなさい!(汗)
宜しければこちらから!(別窓) → 



ホワイトデー文の原版です。どうしても天蓬にキスマークをつけたかった模様(笑)
改めて書き加えても、やっぱりホワイトデーに出さなくて良かった、と思います。


拍手の応援、本当に有難う御座居ます!!



2007.5.25



close this window



inserted by FC2 system