Kitchen


「え?何です?」
第一声が驚き質す序章で、却って俺が驚いた。誕生日を祝うという事は、それほどにも異状なのか。
「いいえ、そういう事では無くて、よもや貴方が、というか…」
歯切れの悪い返答に些か顔が曇ったのだろう。眉頭は重なり合うほどに寄っているかもしれない。眉間へ力を込められた為に頭皮は攣り、耳は持ち上げられる様な感覚で、意思とは別の表情を覗かせたと知る。すると慌てた様に眉間へ白く細い指先が伸びて来て、二三度緩く摩った後、愁嘆した声で、こう言った。
「貴方が覚えていて下さるとは思わなくて、祝ってくれるとも思わなくて、ごめんなさい」
「忘れた方がいいんなら、忘れるけど?」
「いいえ、忘れないで。忘れないで、祝って下さい」
この笑顔を眺められるのなら、何とお入れしますか、という店員の無邪気な問いに、八戒、お誕生日おめでとう、というセリフを、然しぼそりぼそりと呟く声で、何度も聞き直されその度に繰り返し、愈々気も立ち店中へに響くような声高で、八戒、お誕生日おめでとう。八戒な、八は漢数字の八、戒は戒めの戒、何なら平仮名でも良いし、とその矢継ぎ早に驚嘆されながら語るのも、少しは悪くないと、そう思った。ああ。これが親愛というものなのかと、そう思った。
「喰う?」
「はい…え?」
「…今度は何?」
「ろうそく、一本しかないですけど…」
「ああ、一本で良い、って俺が言った」
「何故です?」
「一歳から始めよう」
「…仰る意味が分かりません」
「今まで誰かに祝われたワケ?」
「ええと…施設では、その月生まれの子供たち皆を、誕生日会で…」
「それは9月21日?」
「いいえ、違います。当日だった事は、一度もありませんでした」
「じゃあ一歳で良いじゃねぇか」
「…そうしたら僕、何時までも実年齢にろうそくが追い付かないじゃないですか」
「永遠に若くて良いだろ」
「凄い年の差ですね」
「俺と?」
「はい、悟浄と」
「いや、俺も一歳から始めるし」
「じゃあ、暫くは子供の付き合いですね?公園で砂遊びや、お飯事。夜も早く寝るんです。お酒や煙草、賭場なんてもってのほか」
「…それとこれとは別にしねぇかな。はい、願い事をしながら吹き消して。八戒、お誕生日おめでとう」
「…はい、それとこれとは別にしましょうか」
話題を反らすべくキャンドルへ火を点す。溶け落ち真っ白なクリームを染めてしまいそうな炎の勢いに、慌てて返答を寄越した八戒は、意外にもその後すぐに吹き消して、にっこりと微笑みキッチンへと向かった。願い事をしたのだろうかと気が気じゃないのは、俺の方だ。食器棚から皿を取り出し、珈琲の湯を沸かす静かな背へ何度も呼び掛ける。
「なあ、なあ、って、さっきから何のご用ですか?珈琲は今、淹れてますから少し待って下さいね」
「…そうじゃなくて。お前、吹き消す時にちゃんと願い事した?」
「ええ、しましたよ」
相変わらず振り向かない。ペーパーフィルターを敷いたドリッパへ、未だしゅんしゅんと湯気の音を響かせるケトルから、静かに湯を回し注いでいる。立ち上る湯気は、次第に分量を珈琲の香りへ移し変えて、ほろ苦さが狭いキッチンを覆う。
「貴方が来年も忘れずにいてくれますように、って」
この湯気が完全に、その濃度をいっぱいにキッチンを満たしたら、その時、抱き寄せてでも問う積りでいた答えを、ドリップを終える前に、ぽたり、ぽたり、と雫を溜めているうちにも振り向き、満面の笑みを無邪気に浮かべて、告げた。そして胸の中へ収まってくる温もりは、香気を発散させる程で、噎せ返るような愛しさを、大きく息を吐き出してから、また大きく、吸い込んだ。
「考えるまでも無いんです。僕の願いはそれだけですから」
終わりの半分の言葉は、口移しで、聞いた。


fin



…半年も遅れて何事か。
一纏めになったので日頃のお礼方々こちらに置きました(滝汗)

拍手の応援、本当に有難う御座居ます!!

2009.3.4


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