Releaser


好みに一貫性の無い人だと思っていた。
撓垂れ掛かる様な女性を向いていたり、風を切って進む女性を口説いていたり、そして僕にキスをしてみたり。
どんな共通点で僕はあなたにからかわれているのですか、と尋ねた時、悟浄はこう言った。

『全部の基準は八戒だよ』

僕は全く意味が解らず、にこにこと頬笑みあって、そして話は終わった。

その意味を知ろうと、毎日まいにち悟浄の動作や言葉の端々を観察するのだが、その結果として見えて来るのは 『無秩序』のひと言であり、悟浄を知ろうと計る僕の方が、余程くだらない秩序に流されてしまっている様に思えた。
道中は眠っているか、三蔵や悟空と嘲笑し合い戯れて、それがふと止んだ時に背後から僕の頭をぽんぽんと無言で撫でる。
そして宿に到着するなりベッドに寝転んで煙草を吸う。僕が差し出す灰皿をゆるゆるとした動作で受け取って、焦れる様に吸い尽くしては炎を消す。

『ねぇ、八戒?』
『何ですか?』
『俺とキスしよう』
『どうして僕が?』
『俺がしたいから』

そうして僕は何時でも唇を奪われてしまう。
拒む言葉が出せないのはきっと、悟浄の唇が冷たい所為だ。
冷たい唇を押し充てられた時、ひやりと背筋を通る冷感は、エアコンの中を冷却水が通るのと同じで、運転を続けて昂った神経を沈静させていくように、とても気持ちが好かった。
だから僕は突き放す腕も持たなければ、その理由も思い付きはしなかった。
唇が離された後に手の甲でごしごしと拭って虚勢を張り、僕自身から求めてしまう愚かな想いを止めるだけで一杯になってしまう。

『あなたに抱かれたい』

どんどん溜っていく想いが熱く焦がれた時、僕はそう言って求めてしまうのでしょう。
そうしたらあなたは何と言うのでしょうか、悟浄。





俺の気持ちには全く気が付かないでいるのだろう。
夢現にむくりと起き上がり、もそもそと俺のベッドに潜り込んで来る。そしてにっこりと頬笑んで腕の中にまた眠る。
僕、どうして悟浄のベッドで?と尋ねる翌朝の穏やかさに、俺はこう言うより仕方無い。

『寝惚けて入ってきたんだろ。ちゃんと自分のトコで寝ろよ?』

本当は俺を求めて入って来て欲しい、という言葉が、何度も喉を閊えさせた。

愛する事は傷付く事、交わった分だけ執着心が沸く、そう思って感情を抑え怖れているのだろうが、 失った後の愚行は大なり小なり誰もが行って、そうするからこそ古い想いを仕舞い、新しい想いを宿す事が出来るのに。
以前の様に翳る笑顔も無くなって、それは八戒に過去が生まれたという証で、だったら他に愛する心を保てるだろうと、俺は毎日飽きもせずに八戒へ、俺の存在を染み込ませていく。少しの接触から深い口付けまでを何度でも繰り返す。

『ねぇ、悟浄?』
『なに?』
『僕を抱いてほしい、なんて言ったら、吃驚しますよね?』
『たぶん、するだろうな』
『そうですよね。僕もきっと驚きます』

唇は食物だったり水分だったり愛情だったりを、感じる為についている。
八戒。早く俺のベッドへおいで。




みしみしと床が鳴き、今宵も同じ展開を思って悟浄は、布団の端を捲り上げて到着を待つ。
何時もならば直にベッドスプリングは遠慮がちに沈み、それでも当の本人は強引に入り込んで来て、抱き枕を探す様に悟浄の躰を求めるのに、どれだけ経っても潜り込んで来る気配は無く、押し上げられた布団の隙間から代わりに冷気が忍び込み、どんどんと温もりを減らしていった。
「…八戒?入らないの?」
「僕、何時もそうして悟浄の寝床に?」
「そうだよ。お邪魔しますも何にも言わないでさ、失礼なヤツだよ、全く」
「…お邪魔します」
「はい、どうぞ」
枕をベッドの真ん中に置き直し、その上をぽんぽん、と叩くと八戒は、そろり静かに頭部を載せてその後に、漸く全身を預けて来る。
意識のある八戒を招いた悟浄は、内心深くを脅かされながらも冷静を装い、ベッドの端で小さくなっている八戒をぐいと抱き寄せた。
抗われるのは、誰だって辛い。そして翌晩から閉ざされる憂いを思う程、抱き締める腕も固く強張ってしまう。
「悟浄、苦しいです…」
「あ、ああ。悪い。つい…」
「つい、何ですか?」
「つい、あれだ。その……」
「つい抱き締めて会話をするのは、緊張しますか?」
「…うん」
「僕もです…」
緩められた両腕の中、自由を得た八戒は殊更に悟浄へ近付いて、胸元へ顔を押し付けた。
熱い吐息が素肌に触れて、俄に訪れた尚早に焦がれながら悟浄は、八戒の柔らかな髪を撫で、抱き直す。
「何で今日は起きて来たの?」
「…僕、今日は足りなかったみたいで、眠れなかったんです」
「何が足りなかった?」
「悟浄のキスが」
沈黙しながら悟浄は性急に一日を思い返し、目覚めの煙草の後に呼びつけてキスをした事、道中の合間のひと休みに、三蔵と悟空の目を盗んで口付けた事、そして食事を終え、二部屋に別れた後も事毎に絡ませ合った舌を思い、首を捻る。
どれだけ何時もと違っただろうか。回数では無く、接触の深さが違っただろうかと過るも、然しそれも相違ないものだったと自負し、そうする間にも随分な刻を経過させてしまって、改めて問うには気恥ずかしさを生む間合いだったが、ごくりと唾液を飲み込んで尋ねた。
「俺のキス、今日は良く無かった?」
「いいえ、そんな事はないんですけど…」
「…もっと濃厚なのが欲しかった?」
頷く動作も、首肯の言葉も何ひとつ無かった。箍の切れる音に変わり二つの呼吸が一瞬止まる音がして、それからは、漸く解き放たれた妄念を躰から振るい落とす様に、只管に抱き合い、重ね合った。

「…悟浄、僕、本当は」
「うん、分ってる」
「…何がです?」
「ずっと前から俺に抱かれたかったんだろ?」
「違います!そんな事は今思っただけで…」
「俺はずっと抱きたかった。待ってた」
「僕もです。僕も……」



fin.



58好きへ台詞で10のお題その9『抱いてほしい、なんて』の没ネタを書き上げてみましたら、あら大変。途轍も無い甘さになってしまいました(笑)

拍手の応援、本当に有難う御座居ます!!

2006.12.18


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